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東京旅行記 3日目 靖国神社へ

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2010年1月1日(金)

今日は明日の一般参賀を控え、皇居の下見を兼ねて周辺を探索することにしました。

東京駅丸の内口からまっすぐ皇居へと向かいます。皇居へ来るのは中学の修学旅行以来ですから、あれから約20年近く経っていることになります。

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【皇居外苑と二重橋】

特別史跡江戸城跡

 江戸城は長禄元年(一四五七)に太田道灌によって創築されたが、天正十八年(一五九〇)に北条氏が滅亡し、徳川家康が居城をここに定めた。
 以来、家康、秀忠、家光の三代にわたって西の丸、北の丸の増設や外郭の整備が行われ江戸城の総構が完成した。
 明治維新後江戸城は皇居となり、昭和二四年に西の丸下及び現在皇居を取りまくお濠の地域が「国民公園皇居外苑」として一般に開放され、昭和四四年からは北の丸地域が加えられ広く国民に親しまれている。
 この江戸城跡は、三百年近くにわたる将軍の居所として、また政治の中心としての史的価値が極めて大きく、その規模はわが国随一のものであることから、昭和三八年五月三十日に文化財保護法による「特別史跡」に指定された。

環境省皇居外苑管理事務所

(行幸通り・和田倉噴水公園そば案内板より)

さすがに警備は厳重で、そこかしこに警官が配備されています。また、規律正しく統率された一団(機動隊員?)がいろいろと道具を手に、明日のための設営準備をしていました。二重橋付近まで来るとここから先はもう進めないようで、私を含め他の観光客もうらめしそうにその先を眺めていました。

皇居の中はこれ以上見学できないようなので、周辺の探索に向かいます。途中、白バイを伴ったVIPカーを何台か見かけました。新年のご挨拶に訪れたVIPさんでしょうか?また、元旦にもかかわらずジョギングしている人と何人もすれ違います。きっと日課なんでしょうが何とも気持ちよさそうでした。

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【楠正成像】
忠臣として知られる楠木正成候です。

桜田門から皇居を反時計回りに進んでみます。楠正成像、和気清麻呂像、北の丸公園、日本武道館と(結構な距離で した)歩いていくと何やら賑やかになってきました。

見えてきたのは靖国神社です。

靖国神社

靖国神社(靖國神社、やすくにじんじゃ)は、東京都千代田区にある神社。旧称は東京招魂社。幕末から明治維新にかけて功のあった志士達から、戊辰戦争以降の日本の国内外の事変・戦争等、国事に殉死した日本の軍人、軍属等を主な祭神とする。

【出典】Wikipedia - 靖国神社

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【大村益次郎像と大鳥居がお出迎え】

兵部大輔大村益次郎銅像

 大村益次郎は文政七年(一八二四)、周防国鋳銭司村(現、山口県山口市)の医者の家に生まれ、はじめ村田蔵六といった。広瀬淡窓について儒学を、緒方洪庵について蘭学を学び、嘉永の初め宇和島藩に仕えてはじめて西洋式軍艦を設計建造。さらに江戸に出て私塾「鳩居堂」を開き、幕府の構武所教授等を勤め蘭学者、蘭方医、兵学者としてその名を高めた。ついで桂小五郎の推薦により長州藩に仕え、慶応二年、第二次長州征伐の折に、石州口の戦を指揮して幕府軍を破り戦術家として脚光を浴びた。戊辰戦争では新政府の軍務局判事に任じられ、大総督府に参じ東北の乱を平定。ついで兵部大輔に任じられ、建議して軍制を様式に改める事を主唱したため攘夷主義者を刺激し、京都出張中の明治二年(一八六九)九月、不満士族に襲われて重傷を被り、同年十一月五日大阪にて歿した。四十六歳。

 明治二年六月、戊辰戦争の戦歿者を祀る東京招魂社(現、靖國神社)の創建に際し、社地選定のため同月十二日、この地を視察したことも記録に見え、靖國神社創建者としての功績は大きく、明治十五年、伯爵山田顕義らにより銅像の建立が発議され、宮内省から御下賜金の御沙汰もあり、彫刻師大熊氏廣に塑型に製作が委嘱された。

 大熊氏廣は明治九年、工部美術学校の開設と同時にその彫刻科に入学し、イタリア人教師ラグーザの薫陶をうけ、同十五年に首席で卒業する。卒業後は工部省に入り、皇居造営の彫刻製作に従事、明治十八年に大村益次郎の銅像製作を委嘱されると、この任を重んじ彫刻研究のため欧州に留学する。パリ美術学校ではファルギエルにつき、ローマ美術学校ではアレグレッティ、さらには巨匠モンテヴェルデに入門した。大熊氏廣の帰朝後、漸く明治二十六年にいたりこの地にわが国最初の西洋式銅像が建立された。大熊はキヨソネの描いた大村益次郎の肖像画や遺族らに取材しながら製作にあたったという。陣羽織をつけ左手に双眼鏡をもち、東北の方を望む姿は、上野東叡山にたてこもる彰義隊討伐の時の様子といわれる。後に大熊は、有栖川宮熾仁親王、小松宮彰仁親王などの彫像を制作し、文部省美術展覧会審査委員を務めた。


Bronze Statue of Vice-Minister of War Omura Masujiro

Completed in 1893. Designed by Okuma Ujihiro and Cast by the Tokyo Military Arsenal

Omura Masujiro, who played a seminal role in the creation of the modern Japanese army during the "Meiji Restoration", a period of exceptional turbulence when Japan was in the midst of frenzied efforts for rapid modernization and re-establishment of the Imperial rule, was born in 1824 to a physician's family in the Province of Suo (Choshu, presently Yamaguchi Prefecture). He studied Confucian philosophy under Hirose Tanso and followed Dutch studies under Ogata Koan. He also studied Western medicine, military tactics and technology and had the honor of designing the first Western-style warship in Japan. He jumped into the national limelight as a military tactician in 1866 when the Choshu army under his command handily defeated the Shogunate troops sent against his province in the second of the Choshu expeditions. He was appointed vice-director of the military affairs department of the new Meiji government at the time of the Boshin Civil War and played an important role in subjugating the rebel troops in the Tohoku region. When he was later appointed vice-minister of war. Omura strongly advocated for the Westernization of the natio's military system, thereby incurring the wrath of the extreme nationalist reactionaries. In September, 1869, he was attacked and seriously wounded by a band of discontent samurai. He died in Osaka on November 5 of the same year because of the wound. He was 46 years old. Yasukuni Shrine, which is dedicated to the spirits of those who died for the country in wars in and after the Meiji Restoration, owes its inauguration to Omura Masujito's immense efforts. In 1882, a decision was made to establish a bronze statue of Omura in the premises of the shrine and Sculptor Okuma Ujigiro was commissioned to design the statue. In the hope of doing full justice to the honor. Okuma went to France and Italy to closely study Western sculpture. In 1894, the statue of Omura Masjiro, the first Western-style bronze statue to make its debut in Japan, was installed at the present site. Later, Okuma designed a string of other bronze statues, including those of Prince Arisugawa-no-Miya Taruhito and Prince Komatsu-no-Miya Akihito and acted as a judge at the Ministry of Education's fine art exhibitions.

(銅像前碑文より)

今日は元旦ということもあって初詣客でとても賑わっていました。参道の両脇は参拝客を吸い寄せるかのようにずらりと屋台が並び、おいしそうな食べ物の香りが漂ってきます。

手水でお清めをしてお参りした後は、お守りを買って振る舞い酒をごちそうになりました。少し休憩しながらあたりを眺めますと、みなさん気持ちよさそうな晴れやかな様子で見ているこちらまでほんわかしてきます。家族連れ、若いカップル、外国人などどの人もみんな幸せそうです。

神社境内には遊就館という建物があったので入ってみることにしました。遊就とは"高潔な人にならい学ぶ"という意味だそうです。

施設内に入ると出迎えてくれたのはゼロ戦と蒸気機関車です。ここは写真撮影可のようで私も1枚パチリ。

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【三菱零式艦上戦闘機五二型(A6M5)】

三菱零式艦上戦闘機五二型(A6M5)

昭和十五年すなわち紀元二六〇〇年に制式採用された「零式艦上戦闘機一一型」は、「ゼロ戦」の愛称でも親しまれる。
初陣は昭和十五年九月。中国、重慶においてソ連製中国軍機との空中戦で、敵の大半を撃墜。味方に損害なしという空前の戦果をあげ、その格闘性能と航続力で世界最強を誇った。
ここに展示されている五二型は、初期型より主翼の両端を短く円形に整形されている。そして発動機の栄二一型エンジンに、推力式単排気管を採用して速度がかなり向上し、零式戦闘機の中では最も多く生産された。


Mitsubishi Type 0 Carrier-Based Fighter

The Type 0 carrier-based fighter, Model 11, was formally adopted for Navy use in 1940 (or the Year 2600 according to the Imperial Calendar, which commences with the accession of Emperor Jinmu). The aircraft, which acquired the nickname Zerosen (Zero Fighter), first saw action in September 1940. In a battle over Chongqing against Chinese pilots flying Russian-made fighters, a squadron of Zeros shot down nearly every one of the enemy planes. Since there were no Japanese losses, this was an unprecedented victory. With its excellent maneuverability and long range, the Zero was the best carrier-based fighter in the world. The aircraft on display here is the Model 52, the result of improvements made to earlier models, such as a narrower wingspan, rounded wingtips and individual exhaust stacks fitted to the Sakae 21 engine, which enabled the aircraft to fly significantly faster. More Model 52s were produced than any other Zero aircraft.

(零戦前説明板より)

ここまでは無料で見ることができますが、せっかくなので有料展示室へも入ってみます。展示内容は明治以降の物が大半でしたが日本のあけぼのから時代順に展示されていて簡単にですが歴史を振り返ることができます。

中はどれも興味を惹かれる物でいっぱいで一つ一つじっくりみているとあっという間に時間が経ってしまいます。映画も上映していましたが時間的に厳しいのでまたの機会にして、展示物の鑑賞に集中することにしました(上映していた映画は売店でDVDが販売されていました)。

展示室の最後の方は靖国神社に合祀されている方々の写真がずらりと並んでいます。じっくりみていますと英霊方にまじって坂本龍馬の写真を見つけました。明治以降の戦争で亡くなった方々だけかと思っていましたが、幕末に亡くなった人も維新受難者として合祀されているそうです。よくみると写真ではなく肖像画の人もいますね。

写真のほかに遺書や家族に宛てた手紙、独身のまま亡くなった人へ捧げられた花嫁人形などもあります。それぞれに目を通してみると胸が熱くなってしまいます。時間があればもっとじっくり鑑賞したかったのですが、残念ながらここで時間切れ、閉館時間となってしまいました。

...

現在、靖国神社へ天皇陛下が参拝することはありません。国のために命を落とした方々が祀られている場所へ、誰よりも国民の安寧を願う天皇陛下が参拝できないのです。いつの日か天皇陛下が参拝され、英霊の御魂を安んじることができますように、そう思った一日でした。

【参考】
靖国神社
遊就館
神社本庁 - 参拝作法
Wikipedia - 楠木正成
Wikipedia - 大村益次郎

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